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​若松忠醫生如何多次糾正供述

2007年12月28日(金)  退院日 午前10時ごろ 『若松医師が本日不在の為、退院はできません。』と言う訳のわからない理由により、退院ができない。と急に言われる。

2007年12月28日(金)  午前10時30分~1時の間に、頭にビニール袋を被せられ呼吸停止。意識障害。植物人間状態。

2007年12月28日(金)  午後12時過ぎごろ、東京に向かう車の中で、今まで一度も話した事も息子の病室に訪ねてきた事も有った事も無い、岩鼻まゆみから電話がかかり、母親の居場所を追及する?同時に、明日、退院のジミーに、明日来る時に、パジャマを5,6枚と多めのテッシューパーを持ってくるようにと指示をする?(既に、この時点で意識障害と植物人間状態だったため、長期の入院が必要と判断した証拠。)しかし、この時点で、ジミーの状態を隠蔽。

2007年12月28日(金)  午後12時過ぎごろ、心配しになり、若松太に『『先生、今ほど、婦長さんから電話があって、パジャマを5,6枚、もってきてほしい。と言うのですが、息子の退院は、明日ではないのでしょうか?』との内容の電話をかける。若松太は、この時点で、息子が植物人間状態であることを知りながら、『ああ。間違いなく、明日の退院ですよ。』と答え、事実を隠蔽。

2007年12月28日(金)  午後6時30分ごろ、若松太が始めてジミーを診たのは、午後6時30分ごろに回診したときであり、この時には、すでにジミーは意識障害を起こし植物人間状態であったのを確認していたが、母親からの電話には、『健康です。明日、退院可能です。』と捏造した内容を伝えている。(後の告白で判明)

2007年12月29日(土)  午前5時30分 退院と正月旅行の為、早朝、父親が病院に行き発見。

2007年12月29日(土)  午前中 2回心臓停止。

2007年12月29日(土)  午前中 若松医師が来院。『今日の朝までは、全く、健康状態だった。』と嘘の告白をする。

2007年12月29日(土)  午後、知人の心臓外科医をセカンドオピニオンで来院してもらう。知人の医師が、目の異常充血と白い膜を見てショックを受け。『このような目の状態は、12時間以上前から目が閉じなくなっている証拠。通常は、すぐに目を失明させないようにアイクリームをつけてアイパッチをします。こんな処置をしていない状態は失明しますよ。すぐにアイクリームとアイパッチをしてください。』と言われる。同時に息子の首についた赤い跡を見つけて下さり、若松医師に尋ねる。

​若松忠醫生如何多次糾正供述

2007年12月29日(土)  午後3時過ぎ 知人の医師が帰ると、若松医師は、以下のように告白。

  • 息子の首の赤い跡について、てんかんが止まらなかった為に、アメリカでてんかんに使用されているぺーパーバッグ療法を行った。

  • 紙袋を探したが見つからなかったので、ビニール袋を使用した。

  • 首の跡は、そのときビニール袋を結んだ跡である。

  • その後、息子のてんかんは停止した。

  • その後は、病院にいなかったので、わからない。

この最初の告白後、私と主人は、多数の知人の教授に電話して、この事実を告げると、以下の質問をするように言われました。​​​

『てんかんにビニール袋を使用していると書かれたアメリカの論文を、教えて欲しい。』と聞きなさい。そのような論文はないから。アドバイスを受けました。

​若松忠醫生如何多次糾正供述

私が若松太を追及していると、若松太は急に覚悟を決めたように私に言いました。『ライアンさん、誰かともめませんでしたか?何か政府関係者か誰かともめていませんか?自分は、昨日、病室に来ないように言われていました。その間、小島令嗣らがジミーの頭にビニール袋を被せアレルギーの治療に必要なものを息子さんの目から取り出したと聞いています。申し訳ありません。』ここまで告白を聞いた後、私は驚いて、すぐに警察に110番通報をしました。

これが、私が、最初の110番通報した経緯です。

私が電話で警察官と話していると、岩鼻まゆみが急に部屋に入ってきて言いました。『警察に電話したんですね。若松先生、すぐに会議室に来てください。』そう言って、若松太は病室からあたふたと消えました。

 

この時が若松太の正直な姿をみたのは最後でした。私が警察に通報した直後に、即ち、若松太が会議室から出てきてから、若松太の話しの内容は、すべて変更しました。

直後、警察から電話があり警察官は、こういいました。『過呼吸で頭にビニール袋を被せたそうです。聞いていますか?』私は、驚いて警察官に聞き返しました。『えっ!若松太たちは、そういったんですか?さっきは小島令嗣が息子の頭にビニール袋を被せて、なんだかアレルギーの治療に必要なものを息子の目から取り出したって言っていました。そうじゃないんですか?』すると警察官は言いました。『今、お正月休みで担当の者がいません。申し訳ないですが、僕では防衛医科大学校病院については、何も、お話ができないので、お正月明け、電話もらえますか?』

 

この時、私は初めて、なぜ岩鼻まゆみが急に息せき切って若松太を呼びにきたのか気がつきました。そして、同時に、彼らが会議室で何を相談し何を決定したのかも気がつきました。彼らは話を捏造し、口をあわせ、若松太が告白してしまった小島令嗣が頭にビニール袋を被せた。という行為を、パニック症候群の治療をしていたことに変更したのです。『内容は、過呼吸だったので、ビニール袋を被せた。』というお粗末な捏造だったため、私は、犯人らが嘘を話している事実を知っていました。

 

しかし、彼らから、話しを聞きだすために、私は騙されたふりをして話しを聞きだしました。

 

このホームページに掲載している若松太や小島令嗣や岩鼻まゆみらとの録音テープは、そういう状況での会話になりますので、ご注意ください。

 

私は、過呼吸の為だという彼らの捏造を全く信じていませんでした。

 

しかし、最も大切なことは、彼らの話の辻褄が合わなくなる事を探し出すことでした。

結果、辻褄の遭わない内容ばかりになりました。

捏造した嘘を話すという行為は、必ず、この録音テープのように辻褄が合わなくなる事が多発します。

彼らは、その典型的なタイプでした。

若松太との録音会話のテープお越しを聞いていただければわかるように、この短時間のテープお越しだけで、23回目の嘘を若松太は話しています。

 

彼らは、誰の為にジミーの頭にビニール袋を被せたのか?

なぜ、12月26日、急にアレルギー担当医の小島令嗣がジミーの担当医になったのか?

しかも、12月26日、私が中島佳子から脅迫メールを貰った後に、急に小島令嗣は、ジミーの担当医になったのか?

若松太が、私たち夫婦と理化学研究所、そして先端医療振興財団、そして、その上にいる黒幕らともめている事実を知っていた事実にも不自然さを感じました。また、同様に、アレルギー担当医である小島令嗣が、退院日の決定したジミーの担当になるという異常性を考えると若松太の言葉に信憑性を感じました。しかし、嘘や捏造の多い、若松太の言葉です。信じてよいのかどうかを迷いました。若松太の言葉が、100%事実であったと分かるまでに数年がかかりました。数年後、私は、主人が大株主であったステムセルサイエンス社の科学顧問であった笹井芳樹(自殺)から聞いた事実により、若松太のこの2回目の告白が、すべて事実であった事を知るのです。

​若松忠醫生如何多次糾正供述

2008年1月1日 2回目の110番通報をする。警察から、大学病院に電話がかかる。

この2回目の110番通報後、告白内容が再度変更。若松医師は、警察に通報後、以下のように告白を変更。

『大量の痰が溜まっていた事に気がつかず、痰を取るのを忘れた為、呼吸停止した。』

2008年1月?日 午後  上記の言葉について、わたしは以下のように若松太に聞きました。

私:『それじゃあ、今までの頭にビニール袋を被せた為に、呼吸停止した。呼吸停止するときに、苦しいので息んだ。その為に首から上にかけて圧が上がった為に目が充血した。というお話は、すべてが嘘だった訳ですね。』

若松太:『わたしは、いなかったので、詳しくわかりません。私が知ったのは、夕方6時過ぎです。私が聞いているのは、小島が息子さんの頭にビニール袋を被せたら嫌がって大声を出した。その後、呼吸停止した。という話しです。』

私:『それじゃあ、2回実行した。とか4人で実行した。とか言うのは、すべて嘘だったんですか?』

 

と尋ねると、その後、若松太は、以下のように告白を訂正。

 

若松太:『いいえ、すべて、その通りです。4人でやりました。』

 

しかし、警察が若松太に事情を聞いたところ、若松は、以下のように告白したそうです。

 

若松太:『防衛大学病院の小児病棟では、ジミー君の頭に誰もビニール袋を被せていない。被せたものは、一人もいない。』

​このような大嘘つきの若松太らの残虐行為の為に、ジミーは、11歳から25歳まで人工呼吸器を装着していました。(現在もチューブはついたまま)

 

そのため、この後に入院した日本大学病院では、言葉を話せないジミーは、実験道具として日本大学病院の齋藤宏らに扱われるのです。

このような結果になったのは、警察や裁判所や政府系機関やアメリカ大使館の隠蔽体質が、一番大きな理由です。

​もし、警察や裁判所やアメリカ大使館など、誰でもよいですから、誰かが、ジミーが受けた行為を追及してくれていたら、ジミーの体は、あそこまで惨い状態になっていなかったことでしょう。

 

そして、現在に至る。

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